龍蟠山瑞泉寺

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瑞泉寺について

龍蟠山 瑞泉寺 略縁起


瑞泉寺 本堂

龍蟠山(りゅうばんざん)瑞泉寺は、釈迦牟尼如来を本尊とし曹洞宗大本山総持寺の直末である。
応永三年(1396年)今を去る620余年前、当時、根古屋城主安原備中守源宗範(むねのり)の創建で、総持寺二祖峨山(がさん)禅師の法嗣大徹禅師を請して開山とする。
開基宗範は剃髪(ていはつ:髪を剃ること)して瑞松居士と号し、そのまま「瑞松寺」となりました。
その後70余年を経て、応仁文明の間、兵火に罹り(かかり)、焼失しました。
初め平部(ひらぶ)諏訪山にあったが、七世昌覚和尚代、文亀元年(1501年)現在地に移し、寺号を瑞祥寺と改め、更に、享保年中(1716年)尾張侯瑞松院女君の諱(いみな:真の名前)を避けて「祥」を「泉」と改め、「瑞泉寺」としました。


瑞泉寺 本堂内

かくして歴代住持職はよく山門を護持経営し教化の住に尽瘁(じんすい:全力を尽くすこと)されましたが、中でも二十世、呑舟(どんしゅう)禅師は「中興(再度盛り返すこと)の祖」と仰がれました。鳴海の豪族下郷弥兵衛の援助により、宝暦六年(1756年)には、仏殿山門等18の建物が完成しました。それは真に東海道中の壮観です。


瑞泉寺 山門(愛知県指定文化財)

山門は宇治市の黄檗(おうばく)万福寺総門を模した中国風の形式の門で、愛知県指定の文化財に指定されています。
この山門に掲げられた扁󠄀額(へんがく:平たい額)「曇華峰(どんげぼう)」(山号の別称)は雄渾な(ゆうこん:雄々しくて勢いがいいこと)な文字で呑舟(どんしゅう)禅師の名筆です。
楼上には、十六羅漢像がまつられています。

龍王堂のいわれ


瑞泉寺 龍王堂

瑞泉寺 龍王堂境内に龍神様がまつられています。
寺録によれば、三世却外乗空禅師は、異朝の人(外国の人)でしたが、二世日山良旭禅師の法を嗣いで(ついで)徳望高く、多くの人を教化されました。
その禅師説法の度毎に、かかさずその法座に連なって、熱心に法を聞く女人がいました。
禅師は不思議に思われ、「どなたか?」とたずねられました。
女人は、「私は辱かしいことでありますが、この地に棲む龍王の娘で蛇身であります。どうか禅師により戒法を受けて仏法に帰依し、この苦輪を脱したい。」と、切々の情をのべたので、禅師は不憫に思って、願いにしたがい戒法を授けました。すると、忽ち蛇身を脱して成仏したということです。
そして禅師に告げて言うには「我等、教誡(きょうかい:教えいましめること)を蒙る(こうむる:いただく。たまわる。)、今より以後身を山中に潜め、永く山門の守護神となり、願いにしたがい諸人にご利益を与えん」と言い終えると蛇骨だけを残し、その身を深く山中にかくしたということです。
今この因縁によって山を龍蟠山(りゅうばんざん)と号し、当山鎮守大運威徳龍王と称し、龍王堂にその霊骨が奉祠されております。

総門の額文字


「曇華峰(どんげぼう)」
曇華(優曇華、うどんげ)は、三千年に一度だけ花が咲くといわれる伝説の樹である。
仏道を志し、正しい仏法に出会う時には、あらゆるものが優曇華として花開くという意味がある。

概 観

宗 旨
曹洞宗 大本山総持寺の直末
創 建
応永三年(1396年)
本 尊
釈迦牟尼如来
開 基
安原備中守源宗範(むねのり) 瑞松居士と号す。
開 山
大徹宗令(だいてつそうりょう)禅師
山 号
龍蟠山(りゅうばんざん) 三世却外和尚の時、龍神得度の因縁により山号とす。
寺号変遷
開基宗範、平部(ひらぶ)、諏訪山に創建して自らの法号瑞松をもって寺号とする。その後、70年を経て、応仁、文明の間、兵火にかかり、鳥有に帰し、文亀元年(1501年)(七世昌覚和尚代)現在地に移転し、瑞祥寺と称す。更に享保年中、尾張候瑞祥院女君の諱(いみな:真の名前)を避けて「祥」を「泉」と改む。現住職は35世代である。
伽 羅
山門、仏殿、僧堂、庫院等十余棟あり。宝暦年間(二十世呑舟和尚代)の建立である。山門は、黄檗(おうばく)式重層朱塗の建造物で、愛知県指定の文化財。
寺 宝
足利義満公寄進の唐画、星宿像二幅。徳川家康公寄進の香盤、その他がある。


唐画星宿像 双幅(足利義満公寄附)


堆朱香盤と箱表書(徳川家康公寄附)

瑞泉寺までのアクセス

〒458-0801 愛知県名古屋市緑区鳴海町字相原町4 瑞泉寺
TEL:052-621-0041 FAX:052-621-0044

※名鉄名古屋本線「鳴海駅」から徒歩約7分
※旧東海道沿いに駐車場がございます。

瑞泉寺インドアビュー

※ドラッグしたり、クリックしたりすると「瑞泉寺」内をご覧いただくことができます。

本 堂

坐禅堂

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